先生はただしゃべっていればいいのでなく、子どもの目をしっかりと見て“話しかける”ことが大事。そうすることで、子供の気持ち・意識の変化が分かる。それに対応することが出来る。目を見て話すことで気持ちがつながる。先生は決して“独り言”のような話し方(誰に話しているか分からないような話し方)をしてはならない。
[ add comment ] | permalink |




( 3 / 15 )黙って遊んでいては「英語で遊ぶ」にならない。ことばの学習にならない。子どもの動きに、気持ちに、ことばをたくさんかぶせることで初めて「英語で遊ぶ」が成り立つ(イングリッシュ・ナウは“英語スクール”であることを忘れてはならない)
黙っていたのでは頭が反応しないし、脳に英語の「溝」ができない。
[ add comment ] | permalink |




( 3 / 15 )「英語で遊ぶ」とは、只単に遊ぶのではなく、その時・その場の子供の気持ち・動きにことば(英語)をかぶせていく作業のことである。言葉と気持ち・動きとが同時の作業でなければ「遊ぶ」とはならない。この。<同時>が少しでもずれれば、それはもう「遊ぶ」ではない。先生自身の気持ち、動きにも、同時・瞬時にことばをかぶせて、子供たちに伝えていく。言葉と気持とがずれた瞬間に、それはもう遊びでなく、あまり面白くない、半強制的な<勉強>」に変わる。子どもにとって、その言葉の意味が分かりづらくなる。気持ちと言葉が同時であるから意味が分かり、伝わる。生きたことばになる。
[ add comment ] | permalink |




( 3 / 41 )“自然”とは違和感がないこと、例外がないこと、当たり前のこと。
やったり、やらなかったりがないこと。
いつもそう、ということ。
これを“自然”という。
やったりやらなかったりがない、毎日、ということ。
“無意識の行い”ということ。
例外があったのでは、意識的になり、“無意識”ではもうない。もう“自然”ではない。
“自然”とは、ただ単にやさしい、ということでもない。
やさしいとか難しいとかを感じさせない世界。
子どもたちの英語環境も、こんな“自然”であって欲しい。
(日本語の社会にあっては、どうしても人為的に作られた英語環境ではあるが、その環境が“自然”になるように指導を続けたい)
[ add comment ] | permalink |




( 3 / 81 )“水”と“光”(栄養)をきちんと与えられれば、与えてくれれば、
ぼくたちは、わたしたちは、
どのようにでも、どこまでも、無限大に成長するんだから。
(*ついつい、勝手に子供たちの可能性を“有限視”している自分に気づく。子どもたちの能力に制限を加えて発想している自分に気づく。“ゴメンよ、ちっちゃいこどもたち!”)
[ add comment ] | permalink |




( 3 / 97 )
カレンダ



